もう十年以上前のことだ。
卒業式を一週間後に控えた日、俺はある同級生の女の子に告白した。
その子とは部活でずっと三年間相方のような付き合いをしてきたから、満を持しての告白とはた目からは見えるだろう。
ただ、俺自身はその告白が成功するとはまったく思っていなかった。
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なぜなら、その女の子は数ヶ月前に他の同級生の男に手ひどく振られたあとだったからだ。
もともと大人しい子ではあったけれど、それ以来どこか表情にも暗い影が差すようになっていて、引きずっているのは見え見えだった。
それに加えて、その相手に散々振り回されたことで、彼女は恋愛自体に嫌気が差しているようだった。
自分からあからさまに文句を言う事こそなかったけれど、それでも彼女と話していて恋愛がらみの話題をうっかり振ってしまったときなど、言葉の端々にそれは顕著に現れた。
本人がそんな不安定な状態なんだから、告白したところで受け入れてくれるはずがない。
いくら三年間の部活での付き合いがあるとはいえ、俺の告白は、最初っから玉砕するのが目に見えていた。
それでも告白したのは、何も言わないまま卒業したら、後で後悔しそうで嫌だったからという、それだけだった。
要するに、自己満足に過ぎなかったのだ。
もちろん、俺だってそこまで空気を読めないわけじゃない。いくら女の子と付き合ったことがなかったとはいえ、それくらいの判断能力はある。
今の時点で彼女に告白することがいかに無謀で、しかも自分勝手なことかはわかっていた。
だから、最初はそのまま自分だけの心に秘めておくつもりだった。
けれど、彼女は卒業後すぐに大学進学で引っ越すことになっていたから、このまま卒業してしまったらもう会う可能性はほとんどない。同窓会でもない限りはまず無理だろう。
そう思ってモヤモヤしていたところに、たまたま読んだ雑誌が悪かった。
「しないで後悔するよりも、してする後悔の方がずっといい」
今思えば自己啓発の走りのようなノリの雑誌の、読者相談コーナーだったかエッセイだったかに載っていたその一節は、見事に俺の我慢を叩き壊してしまったのだ
本の影響力というのは恐ろしいものだとつくづく思う。そして、いくら偉そうに語られていても、本に書かれていることがいつもいつも正しいとは限らないことも。
「ごめんなさい…」
半ば予想がついていたから、その彼女――M希ちゃんのその返答にも俺は動揺することはなかった。落胆はしたけれど、やっぱりかと思った程度だ。
ただ、断られた瞬間に、猛烈な自己嫌悪が襲ってきた。いくら雑誌に煽られたとはいえ、俺の自己満足に、まだ明らかに立ち直れていない彼女をつき合わせてしまったのだ。
なんてことしてんだ。俺はバカか。
自分を、俺は心の中で猛烈に罵った。
その感情が顔にも出ていたんだろう。彼女は慌てたように言った。
「あの、誤解しないでね。そういう風にわたしのこと、思っていてくれたのは嬉しいよ?」
「フォローしなくていいって。ごめんな、卒業前に気を遣わせちゃって」
「こっちこそ…でも、どうしてもまだそういう気分になれないんだ」
なんだかんだで彼女は、三年間、同級生の中でも一番長い時間を過ごしてきた相手だ。
だから、性格はあらかじめわかっていたが、改めて彼女の人のよさを俺は感じずにはいられなかった。
だからこそ、自分のバカさ加減も、彼女を振った同級生の身勝手さにもイラついて仕方がなかった。
「ほんとにすまない。気にしないでくれよ」
「ううん…気持ちだけはありがたくいただくね」
「もしそのうちさ…気持ちが落ち着いたら、もう一回トライさせてもらってもいいか?」
「うん。でも、その頃にはお互い相手、いるんじゃない?」
「かもな」
なんとか軽口で締めたものの、その冗談は俺にとってはかなり苦しいものだった。
次に会う事自体、あるかどうかはかなり怪しいんだから。
結局、その日はそのまま別れた。
それほどガッカリはしていなかった。
けれど、告白前とはまた違ったモヤモヤした気持ちが次から次に心の中に湧いて来るのは、どうすることもできなかった。
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それから卒業式の日まではあっという間に過ぎた。
あの告白以来、M希ちゃんは遠慮しているのか抵抗があったのか、俺に近づいてくることはなかった。
それはそうだ。俺だってきまづいことこの上なかったんだから。
だから俺も、告白のことは忘れて、できるだけ意識しないようにはしてみた。
けど、無理だった。あの時期の三年間の付き合いは伊達じゃない。
夕方一人で帰り道を歩いていると、どうしたって彼女のことが思い出されてしまう。
部活の活動はもちろん、毎日ではなかったけれど、部活の帰りに何度となく二人で最寄り駅まで一緒に帰った相手なんだから。
その時の会話の一つ一つまでが、必要以上に鮮明にアタマによみがえった。
海沿いの工業町に建つうちの学校の近くにはロクな遊び場所もなかったけれど、彼女との会話だけで俺は十分以上に楽しかった。
それまであまり考えたことはなかったけれど、俺にとっていつの間にか学校生活は、そのままM希ちゃんとすごすこととほぼイコールになっていたのだ。
だからこそ、最後の最後でそんな関係をぶち壊しにしてしまった気がして、俺はきつくて仕方がなかった。
告白なんてしなければ、もう少しだけでも会話もできただろうに。八つ当たりなのはわかっていたが、あの雑誌の出版社を恨みたい気分でいっぱいだった。
結局、卒業式の前日まで、俺は彼女とのことを思い出しながら大半の時間を過ごした。
それでも、卒業式の日、タイミングを見計らって俺は彼女のところに行った。
せめて、挨拶くらいは交わして綺麗に終わりたかったからだ。
「あ…」
笑っているような、怯えたような、そんな微妙な顔をした彼女に俺は会釈した。
腹の中に渦巻く感情が顔に出ないようにするのにどれほど苦労したことか。
「ありがとうな。今まで」
「…うん。こちらこそ。色々ありがとうね」
告白を蒸し返す気がないのがわかって安心したのか、M希ちゃんはようやくはっきりした笑顔を見せた。
改めて彼女を見る。
校則通りに一本結びにした長めの黒髪と、同じく校則をしっかり守った制服の着こなし。
見るからに模範的な優等生の彼女の姿は、茶髪も多いうちの学校ではむしろ浮き気味なほどだったけれど、そういう真面目さは俺には好感が持てた。
俺自身があまり真面目なほうじゃなかっただけに、なおさらだ。
それだけに、これで終わりかと思うと何とも残念な気がした。
でも、もう仕方がないじゃないか。
自分に言い聞かせていると、M希ちゃんが言った。
「せっかくだし、一緒に帰ろうよ」
「え?いいのか?」
「うん。…最後だしね」
意外だったし、そこまでは期待していなかっただけに、俺は内心嬉しかったけれど、それだけに彼女の最後という一言は胸にこたえた。
卒業式自体は午前中には終わったものの、その後色んな友人に挨拶してまわったり盛り上がったりしているうちに、時間はかなり経っていた。
M希ちゃんと待ち合わせて校門を出たときには、太陽はかなり傾き、しかも雲に覆い隠されていた。
この時期にはあまり見ない粉雪が降り始めている。
これはあんまりゆっくりしているわけには行かないか…そう思っていると、M希ちゃんは言った。
「ね、少し遠回りして帰ろうよ」
「遠回り?…ああ、工場の方か?」
「うん。そう」
工場の方、というのは、学校から駅に向かうルートの一つだ。
まっすぐ海の側に出て、それから海に沿って駅に向かう。
広々した海の景色はなかなか悪くないのだけれど、その代わり時間は一番かかる。直線ルートに比べたら倍近くかかってしまう道のりだけに、普通はなかなか使うことはない。
ただ、俺とM希ちゃんは部活で嫌なことがあったときなど、気分転換もかねてよく使っていたから、思い入れのあるルートではあった。
だから、彼女の申し出はありがたいといえばありがたかったのだけれど、この天気だ。
「いいけど…天気、悪いぜ。M希ちゃんはいいのか?」
「それは気にしないで。わたし、雪そんなに嫌いじゃないし」
「そうか…ならいいけど」
「さ、行こうよ。」
彼女が、つなぐわけでもない手を伸ばして、俺を誘った。
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