我ながら育ちが悪い方だと思う。
両親の元を巣立つまでは、それこそ6畳の部屋に家族全員で無理矢理雑魚寝していた。
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別に、両親の生活態度に何か問題があったわけじゃない。
ギャンブルもやらないし、酒もほとんど飲まない。
それに、仕事に関してだって、彼らなりに真面目にやっていたらしい。
だが、資本主義という奴は、才能のない奴には残酷だ。
苦労はしていたようだが、結局その努力はなんとかぎりぎり食いつないでいける程度の収入を両親に与えただけに過ぎなかった。
もちろん、子供の俺に明細を見せてくれたわけじゃない。
けれど、客観的にみても苦労に見合った給料を貰えているとは思えなかった。
もし余裕があったなら、あんなぎゅうぎゅうずめのオンボロ格安アパートに住むわけがない。
さいわい、両親は根っこの部分は善良なお人よしだったから、あからさまに家庭内が荒れるようなことはなかった。
だが、そうはいったって報われない貧乏生活だ。気持ちが荒んでいたのは否めない。
かなり投げやりな雰囲気を漂わせていた。
そんな彼らに最後に残された楽しみといえば、夫婦の営みくらいしかなかった。
だから、両親がSEXにはまり込んでいったのは当然と言えば当然で、俺としても否定することはできない。
もっとも、両親にはラブホテルや連れ込み旅館に出向くような余裕はなかった。
かといって、野外でいちゃいちゃできるような度胸もない。
それができない程度には、両親は小市民だった。
そうなるとヤるならアパートしかないんだが、共働きの両親が時間を共にできる時間には決まって俺か兄弟の誰かがいた。
さすがに、俺たちの見ている前で始めるほど、彼らの常識は抜け落ちてはいなかった。
あらゆる意味で両親にとっては救いがたい状況だったのだ。
では、どこで彼らはSEXしていたのかという話になるんだが、答えはうちの便所だ。
なんだかんだで、両親も投げやりだったのは確かで、直接姿を見せなければいいだろう、くらいの気持ちだったらしい。
性格からして後ろめたさはあっただろうが、現実問題としてそうでもしなければ、両親は唯一彼らに許された楽しみさえ味わうことができなかったのだ。
狭い部屋のちゃぶ台で食事をとって一服したあと、彼らはおもむろに眼鏡を外してから立ち上がり、二人そろってトイレへ消えていく。
二人ともものすごい近眼だったが、激しく動くには眼鏡は邪魔だったんだろう。
幼いころは、なんだろうと思っていた。排便くらいしかトイレの用途を思いつかなかった当時の俺は、当然彼らの行動の意味を理解できなかった。
一度くらいは理由を尋ねたことがあるような気もするが、おおかたうまくはぐらかされたんだろう。
俺としては、何をやっているのかはともかく、受け入れてはいた。
本能的に何か怪しいなとは思っていたけれど、両親の苦労は子供から見たって明らかだった。
そんな彼らが笑顔でいそいそとトイレに消えていく姿を見ていると、何も言えなかったのだ。
それに、彼らがトイレで何をしようと、俺たち子供に何かあるわけでもない。
他の兄弟だって同じように思っていただろう。
だから、それはうちの家庭においては、平凡な光景に過ぎなかった。
晩飯のあと、彼らが二人してトイレに消え、その後押し殺したような呻きが中から聞こえてくるのを、俺たちは疑問を抱えながらも当然のことのように受け取っていた。
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ただ、幼いころはそれでもよかったのだけれど、成長すれば知識も増えてくる。
そして、性行為の何たるかを知ったころには、俺は両親がトイレに消えていくたびにひそかに興味を抱くようになっていたのだ。
もう、彼らがSEXなるものをしているというのは予測がついていた。
近所の兄ちゃんに見せられたエロ動画の中で飛び交っていた、艶っぽい声。
一応食いしばっていることが多かったが、トイレの中から聞こえてくる呻きは、まさにその母親版に他ならなかったからだ。
ときどき聞こえてくる父親の荒い息や、パンっパンっという、恐らく腰を打ち付けているであろう断続的な音も、さらにその確信を高めた。
そのたびにドアが軋んでいたから、おそらくはドアに手を突いて立ちバックでもしているんだろうと思った。
そして、なまじ普段常識人な二人だからこそ、彼らがそんないやらしいことに興じているということに俺は興奮した。
もっとも、さらに成長してくると、逆にそうした機会はなくなっていった。
なんのことはない、外で遊ぶ方が面白くなったのだ。交友関係は広がってくるし、刺激的な出来事だってそれに伴って増えてくる。
それに、エロ方面に関しても、自分自身はともかく、他人のを見るのには苦労しなかった。
なにしろうちの近所は貧民窟の見本のような町で、恥じらいなんてものとはほぼ無縁だった。
それこそ、ちょっと公園の奥の方に入ると、精子を垂れ流した使用済みのコンドームが普通に落ちているような町だ。
その気になればいくらでも他人のSEXを目にする機会はあった。
だから、俺も兄弟たちも、休日には次第に家を留守にすることが多くなっていった。
ただ、それでも時々、両親のSEXのことを思い起こすことはあった。
幼い頃からドア越しに耳にし続けた、母親の押し殺したような喘ぎと父親の息遣い。
それが耳にこびりついて離れなかった。
筋金入りのスケベとなったその頃の俺にとっても、両親の性交は、今だひとつのいやらしさの象徴のようにさえなっていたのだ。
とはいえ、俺たちがもう家にいることが少なくなった以上、彼らだってわざわざトイレでやることはないだろう。
この頃、両親はまだ30代前半だったし、性欲はまだ十分あるはずだ。それに他に楽しみもない生活環境も変わっていなかった。
だから、ヤリつづけてはいるだろうとは思っていたけれど、それでも部屋でちゃんと布団を敷いてやっているものだとおもっていた。
あれが唯一の楽しみだというのなら、子供に気をつかって声を出すのさえ遠慮しながらやるよりも、ちゃんと横になって、心置きなくヤれる方がいいに決まっている。
それなら、これは一種の親孝行ともいえるんじゃないか。
俺はそう自負していた。
ただ、俺のこの認識は、実はかなり現実と違っていたのだ。
俺たちが留守にすることが増えたことで、両親がSEXを心置きなくできるようになった。これは当たっていた。
だが、問題はその場所だった。
俺たちがいないにもかかわらず、彼らはSEXの場所を変えることはなかったのだ。
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それを知らされたのは、ある悪友からだった。
Sという奴で、俺のアパートの隣に住んでいた。悪友と言ったが、それこそ幼い頃からの親友だ。
本人には悪いけれど、彼は女の子たちにはモテなかった。
ルックス自体はごく普通な男なんだけれど、なにしろ、スケベが服を着て歩いているような奴だ。
俺も相当なものだったけれど、その点では彼にはとてもかなわなかったくらいだ。
しかも、本人がそれを隠そうとしなかったから、いくら色事に免疫のあるうちの地域の女子だって敬遠する。
普通だったら、なんとか改善しようとするだろう。
だが、奴は違う。
それどころか、生身の女なぞいらんと言わんばかりに、エロ本やらエロ動画やらに没頭していった。
そんな奴だったが、根本のところで明るい上、方向を問わない際どい下ネタの数々は男子の間では好評で、なかなかの人気者だった。
そんな彼が、こっそり俺に耳打ちしてきたのは、まさに俺の性欲が頂点に達していた時期のことだ。
「なあ…お前の親なんだけどさあ」
「俺の親?なんかあったか?」
「…すげえ大胆だよな」
「は?」
話が見えなかったが、よくよく聞いてみると、要はうちの両親のSEXの時の声が凄いという話だった。
「日曜だぜ、まっ昼間から、ち●ちんがどうとか、ものすごいこと叫んでるし。声の主がお前の母さんっていうのがまた、いいんだよな」
「おいおい…」
実をいうと、うちの母親は昔からひそかに同級生の男子たちの間で有名だった。
生活苦でやつれ気味ではあったけれど、それを差し引いてもスタイルは一般人とは思えないくらいよかったし、顔だって客観的に言ってかなり整った美人だった。
息子の目からしても人気のあるのはうなづけたし、実際にエロ話に登場することも少なくなかったのだ。
さすがに俺自身に申告してくる奴はいなかったが、オナニーのネタにしていた奴さえかなりいたと言う。
俺としてはどうにも母親をネタにされるのは気になったが、別に実際に手を出そうという話でもない。
だから、慣れてしまうとさほど気にならなかった。むしろ、内心では子供の頃の彼らのまぐわいを思い出して、少しムズムズする気さえしていたのだ。
Sにしても、うちの両親を話のタネにするのは珍しくなかったから、俺はまた始まったと思いながらもフンフンと聞いていた。
むしろ、円満な両親の夫婦生活を耳にして、やっぱり家にいなくて正解だったな、と思ったくらいだ。
ただ、すこし引っかかるものは最初からあった。
いくらうちのアパートがボロアパートとはいえ、まっとうに部屋でヤっているのであれば、さすがに外まで、しかもお隣とは言え家の裏側に住んでいるSに聞こえるほど音が漏れるとは思えない。
どんな声出してるんだよ。
そう思っていると、Sはとんでもないことを言い出した。
「しかも、トイレだぜ、トイレ。すごいよなあ、お前の母さんのあんな姿、はじめて見たよ」
「…はああ??」
間の抜けた声を俺は上げていた。
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